鳩山荘の歴史History 鳩山荘の歴史

鳩山荘物語

元首相別邸跡に佇む鳩山荘 松庵には、
由緒ある歴史がございます。

元首相別邸跡に建つ旅館

今から、70年程前。南房総・館山、西岬海岸に、2,600坪もの広大な松林に囲まれた1軒の瀟洒な別邸がありました。その別邸の主は、元内閣総理大臣・鳩山一郎氏。氏はこの海辺の静かな自然環境をこよなく愛していたと言います。

その後、氏は別邸跡地を地元館山市に寄贈。県内初の国民宿舎がこの地に開設されました。以来、大規模な改築工事を経て、約40年間、国民宿舎「鳩山荘」として親しまれてきました。

経営の赤字化に伴い閉鎖されましたが、平成12年に民営化。全館リニューアルが行なわれ「鳩山荘松庵」として、生まれかわりました。

経営を引き継いだ現当主は、当地で古くから旅館業を営み、
当時鳩山一郎氏より、別邸の管理を任されていた鈴木健三郎の孫にあたり、
氏が愛した自然環境を守り伝えることを使命としております。

元首相別邸跡に建つ旅館

鳩山一郎氏 -新生・日本を切り拓いた政治理念-

鳩山一郎氏

鳩山一郎氏[1883-1959]

元内閣総理大臣
自由民主党初代総裁

人間性を尊重し、
お互いの立場を理解し、助け合おう

日本の近代政治をリードし、戦後の復興から高度成長へと向かう原点となった、自由党と民主党の合併という保守
合同を成し遂げたのが鳩山一郎氏でした。
そんな中、自由民主党初代総裁、内閣総理大臣となった鳩山氏が多くの人々に説いたのが「友愛」の精神。"人間性を尊重し、お互いの立場を理解し、助け合おう"という政治理念は、戦後の日本人らしい時代を切り拓く原動力となったのです。

その精神は鳩山家に脈々と受け継がれ指導的な政治家を代々輩出しています。

鳩山別邸の系譜

-鳩山別邸から国民宿舎「鳩山荘」そして「鳩山荘松庵」へ-

昭和初期

鳩山氏 この地に別邸を構える

銀砂子の長汀、四季ふかぶかとみどりをたたえた松林。
海をへだてて、遠く天城の山なみ、秀峰富士。ゆたかな海の幸、野山の幸。長寿で知られたおだやかな西岬のさと。人間宰相鳩山氏が余生をと望んで定めたこの地に別邸がありました。建物は太平洋戦争が激化し、東京のご自宅が戦災に遭われた時に東京の仮住まい用の資材とする為、解体され跡地のみとなりました。

鳩山氏 この地に別邸を構える

昭和35年

国民宿舎「鳩山荘」オープン

鳩山氏はその後別邸跡地を地元館山市に寄贈。館山市は、地域の観光振興を目的とし、県下初の国民宿舎を『鳩山荘』と命名してオープン。
モダンなロッジ風の施設は、風光明媚な環境とあいまって開業以来高い人気を博しました。


【当時の施設情報】
木造モルタル2階建 / 延床面積450坪 / 客室数23室

国民宿舎「鳩山荘」オープン

昭和55年

新「鳩山荘」改築完成

オープン以来20年を経過した「鳩山荘」は木造建築ゆえの老朽化が激しく、施設の全面的な立て替えが必要となっていました。そこで利用者の変わらぬ人気に応えるため、より大規模な鉄筋コンクリート造の建物の新「鳩山荘」に改築されました。


【当時の施設情報】
鉄筋コンクリート3階建て / 延床面積770坪 / 客室数30室

新「鳩山荘」改築完成

平成12年

民営化「鳩山荘松庵」誕生

バブル経済崩壊後の赤字化に伴い、市は平成10年に施設を閉鎖しましたが、市民から後世に残すべき財産としてその再生に強い要望があり、民間事業者が募集されました。市から選定され経営を引き継いだのは鳩山氏が別邸の管理を任せていた鈴木健三郎(当時この地で旅館業を営み西岬村の村長の役職にあった)の孫に当たる現館主の鈴木健一郎でした。自然環境はそのままに、施設は新時代のニーズに合わせ全館のリニューアルが行なわれ、ここに「鳩山荘松庵」として再生されました。

民営化「鳩山荘松庵」誕生

元首相が愛した豊かな自然環境で、
静かな休息の時をお過ごしください。

  • 元首相が愛した豊かな自然環境で、静かな休息の時をお過ごしください。
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